1年目は、がむしゃらに仕事を覚えた。
A1というサイズを皆さんはご存じだろうか?私の身長程ある模造紙だ。
べニア板にそのA1サイズの模造紙を画鋲で止めて、ひたすら黒の塗料で真っ直ぐに塗っていく。そして、下まで塗り切った所で、少し乾かし今度は白で塗って
いく。
これを繰り返し行っていくと5回程で腕が上がらなくなり・・・ヨレヨレになってしまう。
また、Mさんの補助も行った。炊飯器のパネルをマスキングしたり、どこぞの等身大のホイールを塗ってみたり、掃除機、電動歯ブラシ、車の商談用モック、携帯電話(ちなみに、世に出る前のスマートフォンをこの時初めて目にして驚いたのを覚えている)デザイナーとの打ち合わせ等々幅広く経験させてくれた。私が塗った物は、グッドデザイン賞の展示上にも並んだ。
そして、ようやく一人前と呼べるまでに成長した。
私が経験した中で、特に痺れたのは2つ・・・・
①炊飯器のお釜部分のモデル 銀鏡塗装
特殊な塗装で、違う溶液を同時に噴射して化学反応で塗り終わった後は
鏡のようになる。
②冷蔵庫をブラックでグラデーション
業界の方ならわかるがブラックが一番ムラになってしまう激ムズ
そう、この2つこそ私の塗装魂に火をつけたのだ。どれ程夢中になったかというと今だから楽しく話せるのだが。
まず、月の残業時間は200時間を超え。1日目 9時~翌3時まで、そして会社で仮眠。2日目 9時~翌4時まで、そして会社で仮眠、3日目 9時~22時まで、そしてやっと帰宅。
このような日々を3ヶ月程続け、ちょうど一人目の息子がお腹の中にいる状態の妻は情緒不安定になり・・・そして気が付くと私の体重は50㌔を下回りギリギリの状態であった。ただこの時、精神的苦痛はなくただただ眠かったのを覚えている。
※帰りのバイクは殆ど記憶がない・・
この時のメンバーは初期からだいぶ変わり、私はいつの間にかナンバー2に。
そうMさんの右腕となり、他のメンバーに仕事を割り振り、他のメンバーができない仕事をフォローしていた。後輩も3人入ってきた。
※当時仕事の割り振りを考えていた時のメモ。
それはそれは、言う事の聞かないメンバーがいたり、失敗を認めないメンバーがいたりとなかなか人の上に立つのは大変であったが、私は誰よりも塗装の腕は上だと自負していたため、けして怒らず技術で見せ、良く会話もするよう心がけた。納期が短くクオリティの高さも求められる辛い仕事だ・・だからこそ少しでも楽しくと・・
今もこの考え方は変わらない。私は、仕事をできる限り周りに振るよう心掛けてはいるが、何かあれば全てフォローができるスキルがなければ嫌なのだ。
丸投げをして後は部下のせいにする・・・このような上司は大嫌いだ。
そして、4年がたった頃私の体力・気力は底を尽き・・・このままでは家庭も危ういと思い、塗装の世界から身を引いた。
おまけ
手空きの時に塗った、ホイールのサンプル(かなり小さめ) 色のセンスがない(泣)
白(下地)⇒メタッリック(細目)⇒カラークリア (色不明)⇒カラークリアー(スモーク)でグラデ⇒ウレタンクリアー⇒磨き・磨き・磨き